痛々しさ、身にまとう 「海を感じる時」に主演、市川由衣:朝日新聞デジタル
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11348075.html?_requesturl=articles/DA3S11348075.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11348075
この映画の物語は意図的に第三項を排除している。映画のつくりもそれに準じており、そこに雰囲気(佐々木敦の言葉ではアンビエント)という代替物が侵入してくるのだ。
物語的にはカップルは子供を排除し、母は娘の彼氏を無視し、主人公は街灯を排除する。
映画の作りとしては、新たに立ち上がる雰囲気が、同時録音という技術的な努力によって勝ち取られる。劇中音楽も意図的に使われていない。
市民ケーン的な奥行きのある画面でドラマチックな描写はあるが、全体に言えるのは意図的にドラマにならないようにしているということである(中途半端だった同じ安藤尋監督の『Blue』などからは格段の進歩がある)。
ただし、第三項の排除という勝ち取られた映画的達成は、実はピンク映画の低予算でとり切る為の文法でもあり、そうしたジャンルからの脱却は
完全にはかられていない。
また、ラストシーンの海のシーンは同時録音ではないのが惜しまれる。
主演の市川由衣は熱演とは言えないが、たたずまいが素晴らしい。とはいえ徐々に魅力が増して行くかと言うとそこまではいかない。
早い時間にヌードシーンが登場するから、脱ぐことで観客の目を引きつけ、魅力的に見せて行くという手法が使えていないのだ。
だから男の方が凡庸になって行くという力関係の逆転というドラマは少し分かりづらいものになっている。それだけ男優も全体を通して魅力的(前半回想シーンはスタブローギンのようだ…冒頭のキスシーンがのちに逆転するこの関係性を集約しているが)だからでもある。
描写が丁寧なので本来90分くらいの映画が二時間になっているが、それはいいことでもある。とにかく30年前に作られていたとしたら劇的ではあっても、こうした静謐な魅力をもった映画にはならなかったであろう。
追記:
ネタバレになるがこの映画の最大の(不在の)第三項は父親で、ファザコンの話ということになる。
男が食事シーンで「いただきます」と言うのは無意識裡の第三項の召喚だが、映画に相応しくない。
参考:
「いただきます」と「ごちそうさま」の歴史を日本映画で検証してみた。~小津安二郎、木下恵介(木下惠介)、黒澤明(黒沢明)【意味がわかるとナニゲな日...